ガザでパレスチナ人112人の集団葬儀、2023年にイスラエル軍の攻撃で殺害

ヨランド・ネル中東特派員
パレスチナ・ガザ地区での戦争初期の2023年末に、イスラエル軍によるガザ市の住宅街への攻撃で殺された112人の合同葬儀が、4日に同市で執り行われた。大勢の人々が参列した。
殺されたのは二つの大家族に属する人々で、主に女性と子どもだった。遺体はこのほど、2週間にわたる捜索活動を経て、がれきの下から収容されたばかり。
映像では、屋外に遺体を納めた袋が並べられ、それぞれにパレスチナの国旗がかけられている。個人の写真が添えられているものもある。その後、親族が遺体を運んだ。
この葬儀は、ガザ地区で行われたものとしては過去最大規模だと言われている。
遺族の一人であるアリ・アブ・シャリアさんは、「今あるのは、本来感じるべき感情、つまり痛み、悲しみ、喪失感だと思う」と語った。
「喪失の痛みや、私たちが今もなお経験している苦しみはあるが、遺体を収容し、埋葬できたことで、いくらかは心が安らぐかもしれない」
アブ・シャリア家とハッセイナ家は同一氏族で、犠牲者の中には子ども44人、女性38人、障害者7人が含まれていた。
両家の人々は、2023年11月22日にガザ市サブラ地区の住宅街がイスラエル軍の攻撃を受けた際に殺害された。
この日は激しい砲撃の日だった。同年10月7日にガザの武装組織ハマスが主導した一団がイスラエル南部を襲撃し、1200人を殺害、251人を人質にとった事件から6週間後のことだった。
BBCはイスラエル国防軍(IDF)に対し、ガザ市でのこの攻撃の標的についての情報提供を求めたが、まだ回答は得られていない。
ハマスが運営するガザの保健省によると、戦争開始以来、ガザ地区では少なくとも7万3377人が殺された。この数字は、国連機関なども信頼できるとみなしている。
ガザ地区では、ハマスが運営する内務省傘下の民間防衛隊が遺体の収容作業を行った。この活動は、国際赤十字委員会(ICRC)の支援を受けている。
ICRCのパトリック・グリフィス広報担当は、「我々は物資支援を提供している。文字通り、彼らが使用する手袋、シャベル、防護具、遺体収納袋などだ」と説明した。
「彼らが安全に、専門的な方法で作業を行い、故人が尊厳をもって扱われるよう、研修を行っている。また、ガザ地区でこの種の作業に利用できる数少ない掘削機2台を、数百時間にわたってレンタルすることでも、支援している」
「愛する人が殺されたという確認は、どの家族も聞きたくない答えだ」
「しかし、遺族が心の整理をつけ、それぞれの方法で悲しみを乗り越えるためには、この確認は不可欠だ」
BBCは先月、サブラでの遺体捜索が始まった際にも取材した。ブルドーザー1台ががれきを掘り起こし、その後の、より繊細な工程は手作業で行われた。
民間防衛局のマフムード・バサル報道官はこの時、「この複数階建ての建物は完全に倒壊した。建物内には180人以上の民間人がいたと思われる。そのほとんど、およそ9割が殺された」と説明した。
「(攻撃の)当日、民間防衛隊は現場にたどり着けなかった。(ICRCなど第三者機関を介してイスラエルとの)調整が必要だったことに加え、この地区に到達すること自体が非常に危険だったからだ」
遺体捜索の現場には、作業員を誘導するために遺族も駆けつけた。遺族らは、襲撃直後にできる限りの遺体を収容したが、残されていた遺体も適切に埋葬できてほっとしていると述べた。
ナヘド・アル・ハッサイナさんは、BBCに一家のリビングルームのがれきを見せ、「ここにいた誰もが、この悲惨で悲しい気持ちを共有している」と語った。
また、「あの子たちは何をしたんだ?」と言いながら、幼かった親族2人の持ち物を手に取った。
「これはオマールの通学用リュックサックで、これはイブラヒムの靴だ。なぜ? なぜ殺されたんだ?」
近くに立っていたユセフ・アブ・シャリアさんは、「私は家族の中で唯一生き残った」と話した。
「きょう私は、母、父、おじ、いとこ、そして家族全員を失った者として、皆さんに話している。彼らはこのがれきの下敷きになってしまった」
現場には今なお、数十体の遺体が残されているとみられている。
ガザ地区全体では、さらに数千人が行方不明となっている。多くの人々の遺体が、戦争中のイスラエル軍による激しい空爆によって残されたがれきの下に埋まっていると考えられている。













