旧ユーゴのムラディッチ受刑者が死亡、ボスニアでの虐殺で終身刑

グレーのスーツにグレーのキャップを被った男性が、モニターとマイクの置かれた机の前に座り、左手を上げて宣誓している

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画像説明, ムラディッチ受刑者は内戦後に16年間逃亡し、2011年に拘束された。写真は同年6月にハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所に出廷した際のもの
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ヤロスラフ・ルキフ記者

1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ内戦でのジェノサイド(集団殺害)などの罪で終身刑を受けたセルビア人司令官ラトコ・ムラディッチ受刑者が27日、オランダ・ハーグにある国連管理下の収監施設で死亡した。84歳だった。

2017年の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は、約8000人のボシュニャク人(イスラム教徒のボスニア人)の男性や少年たちが殺された1995年の「スレブレニツァの大虐殺」で、ムラディッチ受刑者が「大きな役割を果たした」と認め、戦争犯罪や人道に対する罪などで有罪判決を言い渡した。その後、2021年に終身刑が確定した

「ボスニアの虐殺者」と呼ばれたムラディッチ受刑者は、戦争後に16年間逃亡を続けた。2011年にセルビアで発見され、ハーグで裁判にかけられた。

これまで国連の収監施設内の病院で緩和ケアを受けていたが、そこで死亡した。

国連国際刑事法廷残余メカニズムは声明で、ムラディッチ受刑者の死亡が確認された後、オランダ当局が国内法に基づき必要な通常の手続きおよび捜査を開始したと説明。また、同メカニズムのトップのグラシエラ・ガッティ・サンタナ判事が、死の状況について「徹底的な調査を命じた」と付け加えた。

ムラディッチ受刑者は今年5月、余命いくばくもないことを理由に収容施設からの釈放を求める申し立てを行ったが、却下されている。

判事は当時、受刑者の状況が「差し迫っている」ことは認めたものの、収容施設内で「包括的かつ思いやりのある治療」を受けていると判断した。

ムラディッチ受刑者の弁護士は当時、受刑者はすでに長期間寝たきりか車椅子生活を送っていると説明。また、脳卒中の疑いのある発作を起こし、ほとんど話すことができなくなったと述べていた。

ムラディッチ受刑者はこれまで、国連機関による裁判を認めていない。

軍服姿のムラディッチ受刑者の顔写真

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画像説明, ムラディッチ受刑者の部隊は1990年代、ボスニア・ヘルツェゴビナで「民族浄化」を行った(1993年4月、サラエヴォ空港)

旧ユーゴスラヴィアは1991~99年にかけて内戦状態となり、現在のセルヴィア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、北マケドニア、スロヴェニアに分裂した。

特にボスニアでの紛争は、民族や宗教の違いから対立が深まり、多数の死者が出た。

ムラディッチ受刑者は当時、ボスニアのセルビア人勢力の指揮官で、ボスニアのクロアチア人やボシュニャク人の武装勢力と戦っていた。

戦争中、セルビア人勢力はボスニア・ヘルツェゴビナでいわゆる「民族浄化」を行い、セルビア人以外の住民を武力で追放しようとした。主要都市サラエヴォを包囲し、1万人以上を殺害したほか、スレブレニツァで約8000人の男性と少年を虐殺した。

「スレブレニツァの大虐殺」の生存者のハサン・ハサノヴィッチ氏は、BBCワールドサービスの番組「ニュースアワー」で、ムラディッチ受刑者の死について「スレブレニツァで殺された人々は戻って来ないので、心の整理にはならない」と語った。

ハサノヴィッチ氏はこの虐殺で、双子の兄弟と父親を殺されている。

現在、スレブレニツァ記念センターで働くハサノヴィッチ氏は、「彼の死は単なる生物学的な必然であり、虐殺という遺産を生み出した政治的計画や軍事的計画を終わらせるものではない。そして私たちは今、分断された国家、虐殺否定の結果として生きている」と語った。

一方、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人分離主義政党のトップ、ミロラド・ドディク氏はロイター通信に対し、ムラディッチ受刑者は「セルビア国民から尊敬されていた。指揮官として、彼はセルビア人を守るために立ち上がった」と語った。

セルビアの首都ベオグラードでも、ムラディッチ受刑者を称賛する声が上がった。

ロイター通信が取材した男性は、「彼はセルビア国民を守ったと私は心から信じている。なぜなら、それが彼の義務だったからだ」と述べた。

別の男性は、「本当に残念だ。個人的には、彼がハーグに送られたこと自体が全くの不当だと思う」と語った。